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新年度になりましたね!お久しぶりでございます。我が家の3姉妹+αも一つずつ年を取り……みんな少しだけ大きくなりました!長女は受験生とか……考えただけで恐ろしい〜(-_-;)

ところでこのブログから遠ざかっている間に、このたび、うちの次女さん、発達障害の診断をうけました。

もちろんショックを受けなかった……といえば嘘になりますが……ああ、やっぱりね。って安心したって言うほうが正しいかな。

 

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なんだか何がメインのブログかよくわからなくなってきてますが、次女に関することをなるべく残しておきたくて、しばらく次女のことをメインで書いて行きたいと思います。

 

最初に「おかしいな〜」と思ったのは、ベビーのとき。生まれたときから育てにくいと言えば育てにくかったのは確か。反抗期も2歳から9歳ぐらいまであったし(最近になってやっと落ち着いたかな?と思われる)とにかくよくできた長女と違って、比べたらダメと思いつつもその差があんまりにも激しいのでちょっと疑問を持っていました。

次女はアレルギーがあったので、常にイライラすると身体中をかゆがり、3姉妹の真ん中ということもあり、愛情不足にならないようにいつも気にかけていました。ただ、気にかけてもかけても空振り感がすごいあるし、こんな一言で片づけていいのかわかんないけど、文字通り「合わない」とずっと思っていました。

小学校入学する前に、ひらがなや数字を教えようとしても全く興味をもたず。「やりたくない」の一言で終了。その頃、同居してたこともあり、じいちゃんばあちゃんに私が責められる生活でした。しかも次女年長の時は長男妊娠中でしんどかったので、すごく堪えました……。

それでもいいところもあります。人懐っこいこと。笑顔がかわいいこと。優しいこと。人の痛みがわかること。小学校入学後は、なんとか楽しく過ごしていました。

2年生になったときに、九九を習うのですが、そこでまた再び「おかしいな〜」と思うわけです。九九をいくら教えても覚えられないんです。毎日計算カードとして宿題が出るのですが、その計算カードをするのに1時間もかかるのです。それも泣きながら。それ以外にも漢字ドリルやプリントなどの宿題があるのですが、すべて終えるのに2時間以上もかかるような生活で、2年生でそんなに大変な思いをした次女はいつしか宿題をしなくなっていきました。

もちろん、私も口を開けば「宿題した?」しか言わない毎日。私は大体夜9時過ぎになったら長男を寝かせに行くのですが、その時間になっても宿題をしてないのです。毎日毎日宿題宿題と言われ続け、本当に次女も辛かったと思います。でも母親として、やらずに学校に行かせるのもよくないと思っていました。

3年生の担任の先生は、もともと支援学級の先生だったこともあり、よく見てくれていました。九九ができないことを最初に気付いてくれ、みんなの宿題にプラスして、毎日少しでいいので、九九を練習しよう!って言ってくれて、ノートに問題を毎日書いてくれました。ただ、うちの子はそれすら苦痛なんです。例えば1の段や2の段なんて、それぐらいはできるのですが、わざとに適当に答えを書いたりします。やりたくないから。先生も最初は九九の表を見て、写すだけでいいって言ってくれてるのに、その表から探すのを嫌がる。そんな毎日でした。

4年生になってからは、私もとりあえず宿題宿題言うのを止めました。諦めたっていうとちょっと違うんだけど、言う元気がなくなったっていうのかな?三女も小学校入学、長男も幼稚園入学で、それどころじゃなかったのよね。おそらく宿題はほとんどしてなかったんじゃないかな?それでも今の小学校の先生って怒らないのよね。だから「宿題忘れた人はお昼休みにしましょう」みたいな感じで、別に忘れても平気。私がガミガミ言わなくなったことで、少しだけ次女との関係はよくなったような気がしており、私自身は、それはそれでよかったように思っていました。

そして5年生。なんぼなんでも5年で九九ができないのはヤバいだろうと思って、5年生に入る前の春休みに、猛特訓をしました。何度も次女に勉強を教えようと思ったけど、やる気がないときは本当に難しくて、うずくまって見向きもしないし、鉛筆すら持たない。でも九九だけは教えようと心に決め、旦那に給料までもらって教え込みました(笑)→結果。九九だけはできるようになりました。めちゃめちゃ大変だった……。普通はこれだけしたら覚えるでしょ?ってぐらいの時間の5倍はやりましたよ。って5年で九九ってどーなのよ?と思って、夏休みの懇談のときに学校の先生に相談することにしました。

そのときに、担任の先生と、支援学級のコーディネーターの先生と3人でお話しました。私が何を求めているのかと聞かれて、やっぱり「宿題宿題と言うのがイヤだ」って答えました。単にサボってるのか、本当にしたくてもできないのか、それを知りたかったのです。次女を怒ってばっかりの自分がイヤだったんです。もし障がいがあれば、大変なのは親であることは十分わかっていたし、それなりの覚悟が必要だと言われましたが……それ以上に次女との関係をよくするために、そして何より、次女がかわいそうだったので、覚悟を決めました。

ということで病院を紹介してもらいました。岡山大学病院です。ここ岡山では、岡大病院に詳しい先生がいるそうです。そんなわけで病院でのことはまた次回へ!

 

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